小説

六平宝飾店

 ある日、柴のもとに届いた一通のメール。それが、すべての始まりだった。

『六平宝飾店の六平千鉱と申します。突然のご連絡失礼いたします。あなたの作品を拝見し、ご相談したい件がありご連絡いたしました。当店にてお取り扱い、もしくは制作に関するご協力について、一度お話の機会を頂けますでしょうか——』
 仕事の合間、何気なく開いた画面を、柴は二度見返した。
「……なんや、これ。」
 柴は会社勤めの傍ら、レンタルアトリエで細々と制作をしている。材料の仕入れから、制作、販売、収支の管理まで、すべて一人で回していた。
 ぼちぼち作って、ぼちぼち売る。それで困ったことはなかった。
「相談、て……」
 スカウトと言っていい内容だが、そんな自分にわざわざ声がかかる理由が見当たらない。まるで身に覚えのない当選メールのように出来過ぎている。
 それでも、文面は至極丁寧で、それが柴の興味を誘った。
 半信半疑のまま空いている日時を送る。場所と時間を告げる返信も、同じ調子で端正だった。
「……ほんまに?」
 画面を見たまま、しばらく指が止まる。
——行くだけなら、タダか。
 もしこれが文面通りの内容なら、柴は正式に職人になることになる。それはずっと、柴の描いてきた夢でもあった。

 指定された場所は、ピアノジャズが流れる落ち着いた喫茶店だった。
「六平という方と待ち合わせなんですが、」
 相手の名前を告げれば、滞りなく席へ案内される。仕事の打ち合わせだと思えば、さほど緊張は無い。ただ、どんな相手と、どのような話になるのだろうという、新鮮な興味はあった。
 
 手帳に目線を落としていた青年は、店員に案内される柴に気付くと、静かに立ち上がった。そうして正面から相対した瞬間、周囲のざわめきが遠のいた。
 すっと伸びた背筋、無駄のない動き。仕立てのいいスーツが、彼の細い体の線を崩さず浮き上がらせている。
「柴登吾さま、でしょうか。初めまして、六平宝飾店の六平千鉱と申します。」
 本日はお時間いただき、ありがとうございます。そう千鉱が続けるも、視線が離せず、柴の返答は一拍遅れた。
 「柴です。」
 柴が自身の中に芽生えた違和感の正体を探るより先に、青年は本題を切り出した。

「在庫のルースも工房も使ってええんやろ?ほな、正規のデザイナー兼職人として雇うっちゅうことやな。月いくら出るん?」
 条件だけ見れば悪いところは何も無い。しかし職人が安く買い叩かれる業界であることも、柴はよく知っている。だから柴も、適当に生活費を稼ぎながらフリーランスで製作しているのだ。そもそも前提条件からして破格、二十も出されればいい方だと踏んでいた。
「そうですね。五十万は如何でしょう。」
「ごじゅッ!?」
 てっきり安く使われると思い込んでいた柴は、その額に目を剥いた。販売の実績があるとはいえ、レンタルアトリエで作業をしなければならない柴の作品数は少なく、ほぼ無名の状態だ。そんな相手にほいほい出していい数字ではない。
 (詐欺か……?)
 もしや、このお堅い見目で詐欺師なのだろうか。詐欺師が詐欺師という見た目で出てくる訳が無い、それはそうだ。名刺も、息子というのも全て嘘なのだろう。ここは流して、後で六平宝飾店に連絡をした方がいいのかもしれない。思わず汗を滲ませて身を引く柴だったが、千鉱は眉ひとつ動かさず続けた。
「父からは五十万まで動かしていいと言われてます。」
 額も額だが上限額。真顔のこの青年は、一体何を思っているんだろうか。
「いきなり上限出すとか正気か?俺が断ったらどうするつもりやってん。」
「その場合は何とかして粘るつもりでした。ただ、先に出鼻を挫くのも有効だと教わったので。今がそうかと。」
「……はぁ〜、負けたわ。ええよ。工房も二十四時間使えて、石も選べる。俺にデメリット何一つ無いわ。四十でええ。」
「値下げ交渉は父としてください。雇用主は父なので。」
 連絡先は名刺の通りですけど、トークアプリも登録しますか?と聞かれ、お互いスマホを出して登録し合う。
「しかし給料の値下げ交渉って普通しませんよね。いいんですか?」
「君のとこが破格過ぎんねん。それに、貰いすぎはバチが当たんねんで。」
 慎ましく生きな、と続けた言葉の何がそんなに刺さったのだろう。千鉱は赤い目を丸くした後、初めてその目元を綻ばせた。
「俺たちからは最も遠いセリフかも知れないですね。」

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